私鉄ローカル線
東武 熊谷(妻沼)線
高崎線の熊谷から利根川近くの妻沼までの10.1kmを結ぶ路線として運行、地元では通称妻沼線
と言われていました。もともと軍の命令で建設された路線で、戦時中に航空機産業の中心地である
太田地区と熊谷市を直結するために建設された路線であるが、1943年に熊谷 - 妻沼間が開業した
のみで以北の延伸はされず、閑散化した盲腸線となっていた。途中駅は上熊谷と大幡の2駅。この
うち熊谷~上熊谷は秩父鉄道と路線を共有していた。
この路線の特徴は、なんといっても、東武鉄道にあって最後に残された非電化路線ということ。
3両のディーゼルカー・キハ2000形が、1時間に1本、のんびりと往復をするだけであった。
延伸計画もあったが、開通以来赤字続きだったこともあり、廃線の話は幾度となく東武鉄道と沿線
自治体の間で話し合われ、ついに、1983年(昭和58年)6月1日に廃線となった。
※ 廃線前の昭和58年5月に訪れた際の写真です。
長閑な田園地帯を走る!
” キハ2000形 ”
※ 東武 ” キハ2000形 ” 気動車
1954年(昭和29年)、キハ2001 - キハ2003の3両が東急車輛で新製された。 当時、最新式の液体式気動車で熊谷線の
専用車、東武鉄道が最後に導入した気動車である。蒸気機関車牽引列車が運行されていた当時、熊谷 - 妻沼間10.1kmを
24分で運行していたため、その鈍足ぶりから沿線乗客には揶揄混じりの「カメ」と呼ばれていた。しかし、本形式は17分
で走破し、またずんぐりむっくりな車両でもあったので「特急カメ号」という呼び名で親しまれた。しかしその後いつの間
にか「特急」の部分がとれてしまい、また「カメ号」に戻ってしまった。他の愛称としては「プッチ」と呼ばれてもいた。
熊谷線廃止とともに廃車された。キハ2002が、熊谷市立妻沼展示館で保存。キハ2003は個人に売却され学習塾として使用
されたが、老朽化により解体され現存しない。