路面電車
広島電鉄
広島電鉄は、明治43年に広島電気軌道として開業。最初の路線は本線・宇品線・白島線でした。
大正6年に広島瓦斯と合併。広島瓦斯軌道となり、横川線を開業。昭和6年には鉄道線として広
電西広島~広電宮島(現広電宮島口)を開業。昭和17年、国策で広島瓦斯電軌から運輸部門が切り
離され、広島電鉄が発足します。
昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下され広島市の大半が焼失。市内線全線が不通となり
ました。忘れてはならないのは、原子爆弾の投下により灰燼と化した広島で、3日後には己斐~
西天満町が運転を再開、爆心地でも一ヶ月後には運転を再開している事です。被爆した電車の内、650形の651、652が今でも現役で動いており、653、654は現役を引退しましたが保存、150
形1両が動態で保存され、被爆の生き証人となっています。
車両は、国で不要になった路面電車を集め塗装も前のまま運行しており、動く電車の博物館と言
われています。大阪市電2601形、神戸市電1150形等、広島に行けば往事とあまり変らない姿
を見る事ができ、京都市電の1900形は事故で廃車になった1両を除き、全車が移籍し健在です。
また、鉄道線である宮島線と直通運転を行い、今ではほとんどが直通車となり、鉄道線の電車を
全部路面型の電車に置き換えています。
時代はモータリゼーションで、軌道内に車があふれ路面電車の運行が困難になり、広島県公安委
員会は、自動車の軌道内乗り入れを禁止させ、運行を確保しながら黒字経営を続け最近では新車
の投入も活発に行い、今、各地で起こっている路面電車見直しの動きの先駆けとなっています。
≪ 広島駅前 ≫
” 1900形 ”(元・京都市電)
1978年に京都市電より広島電鉄に移籍、
在籍中の車両である。1977年10月の河原
町・七条線廃止時に1904・1908号が先行
して移籍。京都市電全廃止後の1978年9月
以降に残りの全車が移籍した。
” 1150形 ”(元・神戸市電)
1971年3月の神戸市電廃止に伴い、最後までツーマンカー
として運用され保存車になった1155号を除く、1150形7
両を広島電鉄が購入。1998年~2003年に順次廃車になっ
たが、2001年に事故廃車になった1105号を引き継1156
号が2代目のハノーバー号になり、保存(予備)車のような
形で、1・3・5号系統で朝ラッシュ中心に運用されている。
” 3700形 ”
1984年、広電では3500形に次ぐ連接車でアルナ車両で製造された。愛称は
「ぐりーんらいなー」先代の3500形と異なり、抵抗制御・平行カルダン駆動
方式と手堅く作られ、路面電車である市内線と鉄道線である宮島線を直通運用
できる車両である。
≪ 原爆ドーム前 ≫
” 3704-3705 ” 広島行き (左)
” 1157 ” 宇品行き (右)
” 2006-2007 ” 宮島行き
2000形
1960年から1963年までに宮島線と市内線の直通車両として9両が製作された。
最初から宮島線への直通を前提として作られたため、吊り掛け駆動の路面電車とし
ては珍しい電気制動を常用する仕組みとなっており、制動時に独特の音を発してい
た。広電の自社工場の製造ということで、2004-2005の1編成のみ荒手車庫に留置
されている。
” 1913 ” 広島駅行き(左)
” 504 ” 宇品行き (右)
500形(2代目)
1953年に5両がナニワ工機で製造された。各系統で活躍していたが、市内線に3000形等の連接車の移籍で余剰となり、2001年に502が廃車、残った車両も2003年に全て廃車され解体された。
広電宮島駅(平成13年 広電宮島口駅に改称)
改築前の駅舎(平成6年に改築)
” 3001 ” 広島駅行き(左)
” 1152・351 ” 広島駅行き
350形
昭和33年、ナニワ工機で3両が製造され、当初は850形(851~853号)として誕生。
宮島線と市内線の直通対応車両で、昭和46年に350形に改番され市内線運用へ変更、
現在も全3両が現役で活躍中。まさに、路面電車といった感じで、ノスタルジーを感
じる人も少なくない。
≪ 宮島駅前 ≫
” 3103 ” 広島駅行き
” 3005 ” 宮島行き
3000形(元・西鉄福岡市内線)
西鉄福岡市内線の1100形・1200形・1300形として、昭和29年~39年に渡り製造
された車両。昭和51年に広電に移籍し、初の3連接車体として運転を開始。 元々は
宮島線直通に使われたが後継車両の登場で、現在は基本的に1系統(宇品線)で運用
され、多くの乗客をさばく。3005編成、3006編成は平成27年に廃車となり、ミャ
ンマーに譲渡されて平成28年1月からは同国初の電車として運転を開始したが、乗客
不足により同年7月1日から運転が取りやめられた。
※ 塗装は西日本鉄道時代のものではなく、グリーンライナー登場以前の広島電鉄の宮島線直通カラー。
” 653 ” 宇品行き
650形(被爆電車)
昭和17年に、木南車輌で製造された広島電鉄オリジナル車。原爆の被害に遭うが
修復されて今も運行中。実質的に、広島電鉄で唯一運転されている被爆車である。
とは言え、新型車両が続々と投入される中で、650形は性能が低く、最高速度も
35km/h程度となっていることから、次第に活躍の場を減少。
平成18年6月改正で、ついに653号が江波車庫で休車、654号は廃車となり広島市
の交通科学館で保存され、営業用として残るのは651号、652号のみで、主に朝
ラッシュ時に運転されている。それでも、特に近年になって被爆電車として歴史的価値の高い車両として認識されるようになり、
広島電鉄の歴史を語る上で欠かせない車両であることから、今後も出来る限り使用されていくとは思われる。
特に写真の653号については、平成27年から「被爆電車特別運行プロジェクト」として昭和20年代当時の塗装に復元された
上、被爆の惨禍、広島の街の復興、路面電車の被爆状況や復旧について学習する臨時列車として活用されている。
” 3103 ” 宮島行き
3100形
1985年に2500形を3両連接に改造した車両で、かっ
ては3000形同様、ピンクの塗装で走っていましたが、
現在は「ぐりーんらいなー」のカラーリングで統一され
ています。
また、写真の3103号は1988年の原爆記念日に、西ド
イツの画家ジョー・ブロッケルホフ氏により車体にスプ
レー画が描かれ、「ピースバーン号」として1995年まで運行されました。
現在、3編成が在籍。グリーンムーバー登場以降、稼働は少なく、朝ラッシュ時に宮島線~市内線広電本社前等に運用されている。
” 3006 ” 宮島行き(左)
” 3705 ” 宮島行き(右)
” 1081 ” 貸切
1080形(元・阪急電鉄京都線)
阪急電鉄からの譲渡車両であり、元は阪急京都本線系統の支線用車両210形として、
1956年にナニワ工機(現在のアルナ車両)で電動貨車の車体更新によって建造された。
1977年から運行された宮島線専用の通常型電車で、終始宮島線で運用されたが、
1989年に廃車となり全車解体された。