路面電車
京都市電
京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年に京都電気鉄道によって日本
最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化
を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。
最初の路線は京都市南部の伏見から京都駅前付近までで、その後、京都駅前から高瀬川沿いを
北上、二条で鴨川を渡り東方の岡崎まで延長された。岡崎で開催予定の内国勧業博覧会への足
として、大阪から淀川を船で来る客を見込んでのこととされる京都電気鉄道買収後、路線は戦
後に至るまで延長され、最盛期は76.8km、車両351両(1957年度)の路線となった。乗客
も増え1963年(昭和38年)には一日平均564,488人の利用があった。
しかし、その後の自動車の普及により乗客の減少がつづき経営が困難となり、碁盤の目の様な
路線網を有していた京都市電も順次縮小され、1978年(昭和53年)には遂に全廃となった。
京都市内のどこからでも気軽に利用でき、古都の佇まいに非常に合っていたのが想い出される。
≪ 東山七条知積院前 ≫
烏丸車庫行き ” 1900形 1925 ”(左)
京都駅行 ” 1800形 1869 ”(右)
※ 東山通りから七条通りに入る6番系統。
≪ 東山七条にて ≫
” 1800形 1819 ”(左)
電車が来ますよ 急いで!
” 1900形 1928 ”・” 1800形 1819 ”(右)
京都行 ” 1800形 1825 ”(左)
烏丸車庫行き ” 1800形 1869 ”(右)
≪ 東山三条交差点 ≫
京阪電車 京津線80型とのコラボ!
滋賀銀行東山支店前で離合! ” 1800形 1839 ・1853 ”
※ 1800形
前身となる800形は、1950年から1955年にかけて90両が製造された。1968年から
のワンマン化改造工事で、801 - 870がその対象となり1800形1801 - 1870に改造
された。1844 - 1870のうち6両(1844・1866 - 1870)が阪堺電気軌道に払い下
げられて同社のモ251形251 - 256となり、朝のラッシュ時に運用された。1995年
までにモ701形の増備などで全廃されている。
≪ 九条通 ≫
東寺をバックに走る! 22系統 ” 1800形 1869 ” ” 1900形 1924”
” 1900形 1928 ”
※1900形
900形として1955年から1957年にかけて35両が製造され、1970年、その内16両はワン
マンカー改造後に1900形となった。(1両は事故により廃車)900形は全長12.9m、窓配置
D10Dの2軸ボギー車で、同時期に増備された800形より窓1個分車体が長くなったほか、前
面中央部の窓が広くなり、それに合わせる形で行先方向幕も拡大された。900形の重厚で貫
禄のあるスタイルを好むファンは世代を問わず幅広く存在する。15両の内(1両は事故によ
り廃車)、1977年10月の河原町・七条線廃止に伴い、1921・1925号の2両は広島電鉄に
先行移籍したが、残り13両は京都市電の廃止まで活躍した。1920号(現在の広電1906号)
は京都市電全廃日の最終便(京都駅前発烏丸車庫前行き)に充当され、最後に入庫する際に
は多数の京都市民が取り囲んで拍手や交通誘導の笛が鳴り響く中で別れを惜しんだ。
廃止後の1978年9月以降に、残りの13両も広電に移籍し広島電鉄1900形電車になった。