路面電車
長崎電気軌道
1914年設立、翌1915年、病院下(現在の大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業。
長崎市は地形が急峻で面積も狭く、路面電車の集客に適しており、赤迫支線0.4km(赤迫~住吉)
本線6.9km(住吉~正覚寺下)、桜町支線0.9km(長崎駅前~公会堂前)、大浦支線1.1km
(築町~大浦石橋)、蛍茶屋支線2.2km(西浜町~蛍茶屋)の5路線、合計11.5kmの路線で
現在、5路線4系統を営業している。
≪長崎駅前にて≫
赤迫行き ” 500形 501 ”(左)
赤迫行き ” 360形 367 ”(右)
赤迫行き ”500形 502 ”(左)
正覚寺行き 長乾号 ” 360形 362 ”(右)
蛍茶屋行き ” 700形 704 ”(左)
赤迫行き ” 370形 374 ”(右)
蛍茶屋行き ” 500形 503 ”
※ 500形
966年、ナニワ工機(現:アルナ車両)で6両が製造された。新製コスト抑制を図るべ
く車体は新造品に対し、台車や主要機器は大阪市電1701形の廃車発生品を使用した
機器流用車である。1982年の長崎大水害では506を除く5両が被災し走行不能とな
り、被災した車両の中には側面窓の高さまで冠水、座席も一部が流失したものもあっ
たが、後に全車復旧している。2016年4月現在は5両(502 - 506)が在籍している。
1979年当時の国鉄長崎駅(右)
≪長崎駅前電停にて≫
赤迫行き”202形210”・正覚寺行き”300形304”(左)
蛍茶屋行き ”201形 207 ”(右)
赤迫き ” 370形 374・正覚寺行き 376 ”(左)
≪蛍茶屋電停にて≫
石橋行き ” 201形 205 ”(右)
石橋行き ” 300形 305 ”・正覚寺行き ” 201形 203 ”(左)
蛍茶屋車庫より出庫!
赤迫行き ” 600形 601 ”
正覚寺行き 柗屋号 ” 370形 371 ” (左)
石橋行き みどり号 ” 300形 309 ”(右)
正覚寺行き ” 201形 209 ”
赤迫行き ” 1050形 1055 ”
赤迫行き ” 300形 310 ”
※ 300形
1953年に実施された運賃値上げの見返りとして、9両(301 - 309)
翌年に1両(310)の計10両が日立製作所笠戸工場で製造された。
2017年に310が長崎市の「路面電車魅力向上費補助」による助成を
受けリニューアル工事を施された。愛称は「みなと」で、デザインは「ななつ星」などを手掛けた水戸岡鋭治が担当し、車体
塗装は港町をイメージしたメタリックブルーに、長崎名物のひとつである「尾曲りネコ」のイラストが随所に配置されている。
≪西浜町電停付近にて≫
石橋行き ” 300形 307 ”(左)
蛍茶屋行き ” 370形 372 ”(右)
正覚寺行き ” 370形 371 ”・蛍茶屋行き ” 211形 214 ”
赤迫行き ” 201形 201 ” (左)
正覚寺行き ” 370形 376 ”(右)
≪新大工町電停にて≫
蛍茶屋行き ” 201形 203 ”・正覚寺行き ” 211形 213 ”
※ 211形
住吉延長開業で沿線人口が増加し、更なる輸送力増強が求めら、長崎バス
県営バスの市内乗り入れへの対抗を目的に、1951年に6両(211 - 216)
が製造された。 製造は201形と同じ日立製作所笠戸工場で、基本的な仕様
と性能も同形式に準じているが、台車の吊りリンク機構を改良した新型
(KBD-12)になり、主電動機・制御器等が日立製となったことなどから
新たに211形と命名された。
≪新大工町電停付近にて≫
蛍茶屋行き ” 300形 307 ”(左)
正覚寺行き ” 201形 203 ”(右)
蛍茶屋行き ” 300形 308 ”(左)
赤迫行き ” 1050形 1053 ”(右)
正覚寺行き ” 370形 371 ”(左)
蛍茶屋行き ” 700形 701 ”(右)
※ 700形
都電12000形の最終製造グループにあた
る2018-2022・2024の6両が1969年
に譲渡され700形(701 - 706)となり、
長崎ではワンマン運転可能な車両として
重宝された一方で、在来車と比べて車体幅が狭く混雑時には乗客の移動がしづらく不評で、1982年の1200形登場以降は日中の
運用が減少した。701(元2018)は、1985年に開業70周年記念として都電時代の塗装に復元され、2014年現在も動態保存車
として車籍を有している。701以外の5両は1990年代に順次廃車されたが、台車など一部の部品が1700形に流用されている。
≪桜町~公会堂前≫
赤迫行き ” 600形 601 ”(右)
蛍茶屋行き ”1050形 1052 ”(左)
※ 600形
1953年に熊本市電171・172として新木南車輌で製造され、
1969年に長崎電気軌道に2両とも譲渡された。番号は171・
172 → 601・602と改められた。1985年に70周年記念事
業として601が熊本市電時代の色に塗り替えられた。602は
1987年に廃車され、その後はこの塗色変更を受けた601の
みが現存する。
※ 1050形
1976年に営業廃止となった仙台市電のモハ100形電車を譲り
受けて誕生した。冷房装置を装備していないことから、1982
年の1200形登場以降は稼働率が低下し、1990年以降は老朽
化により廃車が発生した。2016年4月現在、1051の一両が
在籍する。
正覚寺行き ” 360形 362 ”
※ 360形・370形
1961年に360形7両、翌1962年に370形7両が日本車輌で製造された。
形式名は製造年の和暦である昭和36年に合わせて「360形」昭和37年に
合わせて「370形」となった。371・372は1964年(昭和39年)に日本
の路面電車として初めて、車体全体を広告とした全面広告車となり、現在
も、360・370形共に同社のカラー電車Aタイプとして全面広告の対象と
なっている。2016年4月現在、一般営業用として360形7両(361 -
367)、370形7両(371 - 377)の計14両が在籍している。
赤迫行き ” 370形 373 ”(左)
石橋行き ” 211形 213 ”(右)
≪築町~入江町≫
正覚寺行き ” 201形 201 ”(左)
赤迫行き ” 202形 210 ”(右)
※ 200形(201形・202形)
本線の大橋 - 住吉延長を控え、乗客の増加が見込まれたこ
とから1950年に日立製作所笠戸工場で201形5両(201・
203・205・207・209)製造、日本車輌製造で202形5
両(202・204・206・208・210)計10両が製造された。
形式名は、長崎電気軌道初の「二軸」ボギー車であることから200番台となり、奇数号車は201形、偶数号車は202形
と分類され、車体は西鉄福岡市内線561形をモデルとした半鋼製車体である。2010年代まで一両の除籍もなく主力形
式として運用され続けてきたが、2012年度末で202形204が老朽化を理由に除籍されたのを皮切りに、2015年度末
までに201形1両、202形2両が除籍となるなど運用を離脱する車両が相次いでいる。このうち、202形204は花電車
用の電動貨車、87形(2代目)に改造された。